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【シリーズ:自爆する日本】「人命」を押し出す鳩山内閣が「人材」を軽視する恐ろしさ

∋・ー・∈です。

先の記事で批判した「事業仕分け」の問題点は、一言で言えば戦略性の欠如した削減予算の「抜き取り」でした。戦略に基づいて設計された複数事業間の関係性を無視して、個別の事業を批判することで予算を削り、本来の戦略全体を毀損する恐れがあることと、戦略そのものを見直すのであれば、それは非専門家の仕分け人の仕事ではないことを指摘しました。
今回は、「事業仕分け」がもたらした結果と、鳩山内閣の理念との相違を指摘します。

「コンクリートから人へ」という言葉


鳩山首相は首相官邸ブログで「コンクリートから人へ」という言葉が財政方針の中心である、と表明しています。
コンクリートから人へ - 首相官邸ブログ
鳩山内閣の国の財政に関する方針は、「コンクリートから人へ」です。これまでの箱もの中心の予算から、みなさまの雇用と暮らしを守る予算に変えていきます。乞うご期待ください。
この言葉は、所信表明演説でも使われていました。鳩山内閣の姿勢を示す重要な言葉のはずです。
しかし、一方で「仕分け作業」の場では、大学の高度教育や先進技術の研究開発といった分野の予算から小学校の英語教育まで「そもそも論」に近い形で「必要性がよくわからない」などとして、予算カットが行われています。
これはいったい、どういうことでしょうか。

私も当初「コンクリートから人へ」という言葉は、公共工事の削減を表すだけのキーワードなのだと考えていました。すなわち、その言葉には「物的投資から人的投資へ」の意味も含まれているものだと受け取っていたのです。しかし蓋を開けてみると、補正予算停止で雇用対策の緊急人材育成をストップさせたのを皮切りに、仕分けでも次々に人的投資の予算をカットしていくではないですか。
スーパーコンピューターも、スプリング8のような施設も、研究のための人的投資である、という側面があります。複雑な計算を要する高度な研究は、スパコンの処理速度が研究レースの勝ち負けを左右するだけでなく、1年間に研究可能な事項の数すら決めてしまいます。国家規模でしか建設不可能な大型、高度な施設の予算削減は、その安定した運転に影響を及ぼし、施設の利用権をプラチナチケット化してしまい、研究に携われる人間をも削ってしまいます。
また、そもそも仕分け作業のような形で「利益/リターン」を前面に押し出した議論が行われることで、日本の研究者は予算がつくかどうかわからない「直接の利益が説明できなそうな研究」を回避せざるを得なくなるでしょう。

こうした「仕分け事業」の行いを見ていると、ある疑念にたどり着かざるを得ないのです。
その疑念とは、鳩山内閣の価値観では、「人」とは「人命」であって、「人材」ではないのではないか、ということです。

人命の重視、人材の軽視

人命の重視、それは大変に美しく、また重要なことです。
しかし、「人命」はそこにあるだけで国家を富ませることが可能なものではありません。国家を富ませる「人」とは、人命を守り、育てたことによって得られる「人材」です。国民ひとりひとりをただの「人命」ではなく、かけがえのない価値を持った「人材」へと育てることこそ国家繁栄の道筋です。そして同時に、すべての「人=人材」を失いがたい国家の柱と位置づける経営的価値観こそが、宗教的倫理観に基づかない国家の経済運営においても「個人」を尊重させ、コストをかけて守らせるのです。
為政者がひとりひとりの人間、それを「大きなコストを投じて育てた、国家にとって重要な一つ一つの人材、財産」としてカウントしていくか、ただ「(尊い)人命」とだけ考えているか。倫理の問題のようにも思えますが、これは非常に重要な点です。

なぜならば、国家にとって「人命」は「人材」よりもはるかに低い時間的・経済的コストで生産可能だからです。倫理的に問題ある物言いですが、しかしこれは間違いのない事実です。人体にはじめから子を宿し産み落とす機能が備わっている以上、「人材」が「人命」に経済的付加価値を付与した結果得られるものである以上、国家にとって「人命」は「人材」より遥かに安く手にすることができる存在です。
それゆえ、「人命」を権力から守るものは、最終的には倫理しか存在しません。しかし残念ながら、倫理というものはあくまで内心のものであり、主観的な感覚であり、また容易く変動するものでもあります。内心のものである倫理の留め金が緩んだとき、「人」に向けられるのは経済という「現実の感覚」です。だからこそ、経済の側からも「人」に資産的価値を見いだす「人材」の観点は、政治から失われてはならないのです。
人は人命をもち、付加価値を与えられて人材となる。故に人命は倫理的観点によって守られ、人材は経済的観点によって守られる。国家権力には、その片方ではなく、双方を重視することが求められるのです。

【自爆】人材を軽視した結果、人命を武器にした日本

日本は、「人材」を軽視した結果としての「自爆」を既に経験しています。
わずか65年前、日本は戦争のさなかで「人材」を使い果たしました。訓練や経験を重ねた優秀な兵士の価値を軽く見て、その戦力を「玉砕」前提の遅滞戦闘に浪費しました。熟練した機械工を前線に送り込み、兵器の生産を学生工員に任せました。
結果、我が国は「人材」を活用して有利に戦うことができなくなりました。大きなコストを投入した「人材」を要求される高度な作戦は採用することが不可能となり、最終的に特攻という形で、「人命」そのものを武器として活用することを選ばざるを得なくなったのです。
あのころの日本が、仮に「人命は尊い」という倫理が停止した状況であったとしても、「人材育成には高いコストを要する」という経済感覚が残っていれば、勝利の見込みがどこにも見いだせないままに人材が次々に失われていく時点で、損益分岐を割ったと見て引く判断も可能だったのではないか、と考えます。

鳩山内閣は、「人を大事にする」という言葉を掲げ、引き換えに「人材」を軽視する政治を行おうとしています。
昨今の派遣社員問題というものは、企業が「人材」育成コストを負担することなく、「人手」すなわち「人命」を活用した経済を展開しようとした結果だとも言うことができます。

ここで国までが人材という観点を喪失してしまっては、日本は世界経済の中で何を武器にすることになるのでしょうか。
それを想像すると、とても薄ら寒い気持ちになるのです。

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すっごくどうでもいい話だけど、鳩山ブログの「乞うご期待ください」って
「乞う」と「下さい」が重複してると思うんだよね。こういう時
麻生さんなら「国語の出来ない首相!!!11」とか批判されてたと思うんだけどなー。
マスコミって、本当に怖いよね。こういう自粛とか、雰囲気に流される風潮が太平洋戦争や
その他国益を損なう愚策を支持したり見逃したりしてきたと思うけど。


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